コラム

私がこのシェアハウスに住む理由 vol.1

2014/07/07

北條 みくる

こんにちはcolishのライターの北條です。シェアハウスに暮らし始めて1年が経とうとしています。今回は私がシェアハウスで暮らす理由、シェアハウスで暮らしていてよかったことについてお話しようと思います。


アルゼンチンの記憶

私のシェアハウスでの暮らしをお話するその前に、高校3年生の時に私がアルゼンチンに留学していた時のことに少し触れたいと思います。なぜなら、そこでの経験が私の今に繋がるすべての原点となっているからです。私がアルゼンチンで暮らして学んだことは3つです。人生の豊かさは家族や友人と過ごす時間の密度で決まるということ、自分に素直に生きてもよいということ、そして血の繋がっていない他人でも家族になれるということ。

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私が留学したのは首都ブエノスアイレスからバスで16時間のアンデスのふもとの小さな街です(飛行機では日本からアルゼンチンまで30時間もかかります!)。そこで私は現地の家族の一員となり、現地の学校に通い、まるでアルゼンチン人になったかのように1年を過ごしました。   

アルゼンチン人の好きなところは仕事より何より家族や友人と過ごす時間を大切にするところです。アルゼンチンにはシエスタという文化があり、13:00-17:00の間はお店も会社もすべてお休みになります。それなので、働きに出かけたお父さんもお昼には一度帰ってきて、家族みんなで一緒にお昼ごはんを食べます。そのあとは友達と遊びに出かけ、夜は21:00にはお父さんが帰ってくるので、それまでに帰宅して夕ご飯もやはり家族みんなで囲みます。そして、週末はいつも祖父母の家に親戚一同で集まって一緒に料理をしてご飯を食べます。

美味しい料理を囲み、家族や友達と他愛もない会話をし、何気ない日常の瞬間をシェアしていくなかで、私は人と過ごす時間がどれだけ日常を豊かにするかということを知りました。私が住んでいたその小さな街には日本のような都市的な魅力や刺激的な娯楽はなにもなかったのですが、だからこそ人と一緒に過ごす時間が何よりも自分を満たす楽しい時間になるということを体感しました。

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また、感情がむき出しなアルゼンチンの人たちと一緒にいるのはとても楽しいことでした。楽しい時は笑い、悲しい時は泣き、怒ると声を荒げる彼らをみているのはとても気持ちがよいものです。そんな彼らは、好きなものにはイエス嫌いなものにはノーといい、いつでも自分に素直に自由に生きているようにみえました。そんな彼らからは自分に対して寛容であると相手に対しても寛容になれるということを教えてもらいました。いいところも悪いところもすべてさらけだして、そのうえで互いを認めあうという生き方を彼らとの関係を築いていくなかで学びました。

そんな風にして1年を過ごしていたら、私はすっかり彼らと「家族」になっていました。日常をシェアし相手のことや自分のことをひとつひとつ知っていくことで、国籍が異なる他人でも「家族」になることができるということを私は肌で知りました。


シェアハウス「またたび」との出会い

私が福岡のシェアハウス「またたび」にはじめて出会ったとき感じたのは、アルゼンチンに似たような空気感でした。それもそのはず、シェアハウスまたたびは「家族づくり」をコンセプトに外にひらいているコミュニティ型のシェアハウスなのです。何度か遊びにいくうちに、シェアハウスまたたびのアットホームな雰囲気にすっかりひかれてしまい、気がつけば東京から福岡に引っ越していました。現在、私はシェアハウスまたたびにて、ひとつ屋根の下、出身地も年齢も職業も性格もバラバラな12人との共同生活を送っています。

シェアハウス「またたび」に暮らしてよかったと思うことは、いつも誰かがそこにいることです。1人暮らしをしていたころは、人と会うためには約束をしてわざわざ外に会いにいかなければなりませんでした。カフェに入り、互いの近況報告をしているだけで、あっという間に時間は過ぎ去ってしまいました。それなので、每日シェアメイトとご飯を食べながら、他愛もない話や每日のちょっとしたことをシェアできる今の生活は、シェアハウスでの暮らしに慣れた今でもつくづく幸せだなあと思います。

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すっぴんとシェアハウス

さらに、シェアハウス「またたび」で暮らしていて、自分に素直に生きられるようになりました。日本のような本音と建前があふれている社会で暮らしていく以上、外的にも内的にも求められることは多くあります。化粧をすることはもちろん、時には着飾ったり、背伸びしたりすることが必要なときもあります。けれども、家に帰ったときぐらいは余計なアクセサリーはすべて取り去って身も心もすっぴんの自分でいたいと私は思うのです。そんな私にシェアハウスは身も心もすっぴんのままで付き合える場所と仲間を与えてくれました。そして、そこには着飾っていない、ありのままの相手や自分を受け入れあうことができたからこそ感じることができる喜びがありました。その過程にはもちろんわずらわしいことや面倒くさいこともたくさんありましたが、それすら私の日常を豊かなものにしてくれていたように、今振り返ってみると感じます。

私にとってシェアハウスで暮らすということは何気ない日常をシェアしていくなかで、相手を知り、自分を知り、どんどん素直になっていくということでした。自分も相手のいいところ悪いところを全部さらけだして、それでも互いを認め合い、一緒に住み続けたいと思うことができたときに、「家族」になっていると感じました。人生の豊かさは家族や友人と過ごす時間の密度で決まるということ、自分に素直に生きてもよいということ、そして血の繋がっていない他人でも家族になれるということ、そんなことを日本のシェアハウスの暮らしで改めて感じました。


この記事のポイント

シェアハウスで暮らすということは何気ない日常をシェアしていくなかで、相手を知り、自分を知り、どんどん素直になっていくということ

每日シェアメイトとご飯を食べながら、他愛もない話や每日のちょっとしたことをシェアできる幸せ

人生の豊かさについて改めて教えてくれたシェアハウス

北條 みくる

シェアハウス研究生

ICU人類学専攻4年。高校生の時に留学したアルゼンチンでシェアの精神を学ぶ。その後、海外のゲストハウスをまわる中でシェア生活にのめりこむ。日本ではシェアハウスという暮らし方に共感をおぼえ、全国各地のシェアハウスを訪ねてまわる。現在は福岡に移住し、シェアハウスの運営見習い中!

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